The open organization
― オープン・オーガニゼーション ―

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情熱に火をつけて成果を上げる新たな組織経営

成功を続ける組織に必要とされるオープンなリーダーシップ

ビジネスの環境は変化し続けます。従来の企業経営や組織運営では、今後の成長や成功を見込むことはできません。

「オープン・オーガニゼーション」は、激変する世界に即応できるビジネス環境を求める次世代リーダーに向けたメッセージです。最良のアイデアを奨励し、率直なアドバイスを受け入れ、優秀な人材を確保したい、というリーダーやビジネスパーソンにぜひお読みいただきたい一冊です。

オープンな組織、Red Hat

Red Hat の誕生は、Linuxの生みの親であるリーナス・トーバルズが、すべての人に向けてオープンなオペレーティングシステムを開発したことに始まります。Red Hat が Red Hat Enterprise Linux をはじめとするオープンソースクラウド、ストレージ、ミドルウェアテクノロジービジネスで成功しているのは、透明性、参加、そしてコミュニティをベースに生まれた組織であるからにほかなりません。

しかし、本書は Red Hat のみに関して書かれたものではありません。Red Hat のストーリーをベースに、ホールフーズ、ピクサー、ザッポス、スターバックス、WLゴアといった、他のオープンな企業組織において学ばれた教訓についても幅広くご紹介しています。

ジム・ホワイトハーストについて

ジム・ホワイトハーストは、世界最大のオープンソースソフトウェア企業である Red Hat の CEO です。Red Hat に入社後、オープンソースが従来のプロプライエタリ・ソフトウェアの世界を打ち壊す様子にすっかり魅了された彼は、オープンソースソフトウェアがもつパワーの単なる信者に留まらない存在となりました。現在、彼は活発な提唱者として、あらゆる種類のノンプロプライエタリなデータやテクノロジーの開示を提唱しています。

オープンな組織は、コミュニティによるオープンなテクノロジーを通じて、企業組織に対して深く、また高いレベルでのオープン性に変革の効果をもたらしています。彼は、オープンであることはその有効性に不可欠だと信じています。

ジム・ホワイトハーストは、Red Hat に入社する以前は、デルタ航空でCOOをはじめとするさまざまな役職を歴任しました。それ以前はボストン・コンサルティング・グループ(BCG)のパートナーとして主導的役割を果たしました。

[本書から一部抜粋]

あるオープンな組織との出会い

私はレッドハットに着任するまで、ビジネスの研究にキャリアのほとんどを費やしてきた。ボストン コンサルティング グループ(BCG)では、ハーバード・ビジネス・スクールでの2年間を含めて10年間働いたが、文字通り何百社という企業を内側から見てきた。私の仕事はシンプルで、問題を見つけてそれを解決することだった。つまり各企業が持つ制約を認識させ、どうやってそれを乗り越えられるか理解するための手助けだ。デルタ航空で COO だった時代も同様に、私は問題解決のリーダーを務め、リストラを率先する役割を担った。デルタ航空での6年間で、私は BCG で過ごしたころと同じくらい多くのことを学んだ。私は、組織をどう運用すれば結果を出せるか知っているつもりだったし、人を管理して働かせるには何をすればよいかを知っているつもりだった。しかし、それまで学んできた数々のテクニックや経営者としての伝統的な信念、企業経営と組織運営のノウハウに、レッドハットとオープンソースの世界に足を踏み入れた瞬間から疑いを持つようになった。

レッドハットは、リーダーシップとマネジメントに対する従来の取り組み方とは違った、めまぐるしいビジネス環境により適した手法を私に教えてくれた。いままでのビジネスマネジメントは、イノベーションを育んだり、「ミレニアル世代」と呼ばれる若い人たちの雇用に応えたりといった、迅速な対応が必要なビジネス環境で運用するには向いていない。言い換えれば、従来の経営方法には大きな限界があり、それがさらに深刻化していることに、私は気づいたのだ。

私の考え方が変わったのは2007年だった。デルタ航空の業績好転を見届けて、会社を去った年だ。デルタ航空は新しい CEO を迎えたので、私は会社を移って新しい機会を見つけるのによい潮時だと感じていた。デルタ航空は社会的地位も高く、リストラも成功したと認められたため、私の元には人材紹介会社から多くのオファーが届いた。未上場の会社からフォーチュン500にリストされている大企業まで、業種もさまざまで、その多くは業績の好転を期待していた。正直に言うと、長年の激務の後でそのような有名企業から求められ、気前よくもてなされるのは願ってもないことだった。

そんなとき、レッドハットのリクルーターから連絡をもらった。私自身、多少コンピューターをかじった人間なので――ライス大学の学位をコンピューターサイエンスで取得した――レッドハットのコアであるLinuxについて知っていたし、時々 PC 版の Linux を使っていた。しかしながら、レッドハットという会社自体や、オープンソース開発の広がりの実態については、あまり知らなかった。そこで、いくらか調べた結果、興味をそそられた。デルタ航空を去った後、他の企業の業績回復の仕事を引き受けることに気が進まなかったのも、その理由のひとつだ。私は何万人もの社員を解雇してきた。ともに働いていた人たちのことを思うと、リストラのプロセスは同僚にとっても私にとっても、非常に心苦しいものだった。私にオファーを出してきた多くの企業は、それと同じことを求めていたが、私にはできなかった。もう人を解雇したくなかったのだ。一方、レッドハットはまったく違うことを望んでいた。レッドハットは成長しつつあり、私のルーツである技術畑に戻って何か新しいものをつくる機会を提供してきた。また、私が驚いたのは、理屈の上では誰でも無料でインターネットからダウンロードできるソフトウェアを売ることで、この会社が多くの収益を得ていることだった。

リクルーターにレッドハットとの面接に応じる用意があると伝えると、彼は私に、日曜日にノースカロライナ州ローリーにあるレッドハットの本社に来てもらってもいいかと聞いてきた。日曜日に面接をするのは妙に思ったが、どのみち月曜日にニューヨークに行くことになっていたので、その途中に寄って面接を受けることを承知した。私はアトランタからローリー・ダーラム国際空港に飛んだ。私が乗ったタクシーは、当時ノースカロライナ州立大学のキャンパスに面していた、レッドハットの建物の前で私を降ろした。日曜の朝9時30分だったので誰もいなかった。電気は消えており、ドアもロックされていた。これは何かの冗談なのか。首をひねりながら、タクシーに戻ろうと振り返ったときには、すでにタクシーは走り去ってしまっていた。さらに雨まで降ってきたが、私は傘を持っていなかった。

タクシーを捕まえようと歩き出したとき、当時のレッドハット代表取締役会長兼 CEO のマシュー・ズーリックが車でやって来た。「やあ、どうも。コーヒーでも飲みに行かないか?」と彼は言った。面接の始まりとしてはちょっと変わっているが、ちょうどコーヒーを飲みたかったし、どうせ空港に戻るためにタクシーを探していたところだ。

ノースカロライナの日曜の朝はとても静かだ。午前中から開いているコーヒーショップを探すのにしばらくかかった。ようやく見つけたのは街いちばんの店でも、ピカピカの店でもなかったが、入れたてのコーヒーを出してくれた。私たちはボックス席を陣取り、話を始めた。

30分ほどすると、私は面接の進め方によい印象を持ち始めた。風変わりな面接だったが、会話はとても充実していた。ズーリックは、レッドハットの企業戦略の要点やウォール街でのイメージ――それらはすでに事前調査済みだった――についてあれこれ説明するよりも、私の夢や抱負について詳しく尋ねてきた。いまとなってはよく理解できるのだが、ズーリックは私がレッドハットのユニークな文化や経営スタイルにマッチするかどうか見極めようとしていたのだ。

面接の後で、ズーリックはレッドハットの法務顧問であるマイケル・カニングハムに会ってほしいと言ってきた。彼と早いランチをとることになるかもしれないとのことだった。私は了解して、席を立とうとした。そのとき財布を出そうとしたズーリックがこう言った「おっと、財布を忘れてきてしまった。君は持ってる?」。これには不意をつかれたが、手持ちの現金はいくらかあるのでコーヒーをおごってもかまわないと彼に伝えた。

数分後、ズーリックは、カニングハムとの会合場所であるこぢんまりとしたメキシコ料理屋で私を降ろしてくれた。今度の面接も形式や場所は型破りだったが、また素晴らしい時間を過ごすことができた。カニングハムと私が勘定を払おうとしたとき、レストランのクレジットカードの機械が故障しており、現金払いのみだということを知らされた。カニングハムは私に振り返り、現金の持ち合わせがないので、私に支払えるかどうか聞いてきた。ニューヨークにいく途中だった私は、現金を多めに持っていたので、そのランチ代は私が払った。

カニングハムが空港まで車で送ってくれることになり、私は彼の車に乗り込んだ。数分も走ると、彼がこう聞いてきた。「ガソリンスタンドに寄ってもいいかな。ガソリンが切れかかっているんだ」。「かまわないよ」と私は答えた。ポンプがリズミカルにゴボゴボと音を立て始めたとき、座席の横の窓がコツコツ叩かれた。カニングハムだった。「この店ではクレジットカードは扱ってないんだってさ。いくらか現金を貸してくれないか ?」と彼は言った。これは本当に面接なのか。それともある種の詐欺なのだろうか。

その翌日、ニューヨークで私はレッドハットの面接について妻に話した。面接で話した内容はよかったが、彼らが真剣に私を雇おうとしているのか、それとも単に食事代とガソリン代をせしめたかっただけなのか、よくわからない、私は妻にそう伝えた。いまになってあの面接を振り返ると、ズーリックとカニングハムは単にオープンなだけだったことがわかる。彼らはふだん誰かとコーヒーを飲み、ランチを食べ、ガソリンを入れたときと同じように、私に接したのだ。確かに2人とも現金を持っていなかったのは間抜けで苦笑せざるを得ないが、彼らにとってお金のことは問題ではなかったのだ。オープンソースの世界がそうであるように、彼らは誰かを手厚くもてなすとか、すべてに完璧を期することに価値を置いていなかった。私に好印象を与えたり機嫌をとろうとしたりするのではなく、単に私のことを知りたかったにすぎない。彼らは私という人間に興味を持っていたのだ。

この面接は、レッドハットで働くということはいままでとは違う経験になるだろうということを私に教えてくれた。伝統的な組織の階層はなく、リーダーへの特別扱い――少なくとも他の多くの企業で見られるような類のもの――はなかった。やがて、私はレッドハットが能力主義に基づくオープンソースの原理を信じていることを学んだ。つまり、あるアイデアが経営陣から出ようが、夏休みのインターンの学生から出ようが関係なく、いちばん良いものが採用されるという意味だ。言い換えれば、レッドハットでの初期の経験が、リーダーシップの未来像を私に示してくれたのだ。

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